ロシアW杯を率いた西野朗監督が7月一杯で任期満了となる。
次の日本代表監督はクリンスマンか?ヴェンゲルか?
外国人監督の名前がメディアではざわついていたが、日本人監督待望論を世論は推し進めている。
そんな中、ほぼほぼ次の監督は日本人だったら森保一ではないか!?
そんな声が聞こえて来ているようだ!
現在の森保一はU-23日本代表監督であり、2年後の東京オリンピックに向けての大一番にチャレンジしている。
ロシアW杯では西野ジャパンのヘッドコーチを緊急の中務めた影の功労者ではないだろうか。

西野朗監督がこのままカタールW杯まで続投して欲しいという選手もいたり、世間もそんな流れはあったが森保一はそんな西野朗監督のやり方を継承できる人だと私は思っている。
現役時代の森保一のキーワードは『ドーハの悲劇』と『ボランチ』
1992年4月、オフトが日本代表監督に就任すると日本代表に初招集される。
森保一はハンス・オフトによりその実力がより開花していく事になった。
代表メンバーの何人かは存在自体知らなかった無名選手の大抜擢で、同チーム所属の高木琢也と前川和也以外誰一人「モリヤス」と読めなかった。
当時はJリーグが始まりそれぞれのチームにスタープレイヤーは存在していたが、注目されるのはやはりFWや攻撃型の選手。
三浦和良(ヴェルディ)、永島(ガンバ)、福田(レッズ)、高木(サンフレッチェ)やはり攻撃型の選手は花形である。
そんな中で、森保という選手のプレイスタイルを世界に認めさせたのが同年5月オフトジャパン初戦のアルゼンチン戦である。
先発メンバーに抜擢され初出場を果たし、この際アルフィオ・バシーレ監督とクラウディオ・カニーヒアが日本にはいいボランチがいると高く評価したことから、「森保」と「ボランチ」の名前が脚光を浴びることになる。
以降レギュラーとして活躍、ラモス瑠偉をカバーすることに重点を置いた。
1993年、W杯アメリカ大会アジア予選に出場し、ドーハの悲劇を経験した。

現在では当たり前のように重要視されている『ボランチ』ではあるが、日本人で最初にボランチという仕事を徹底的にやったのが森保一だ。
ロシアW杯でら長谷部、柴崎岳、山口蛍がボランチとして重要な役割をこなしていた。
ボランチ1つでも攻撃型、守備型と役割はあるがその両方を90分間常に全体の中心として考えて行動するのがボランチの魅力である。
それだけ現役の時のプレイヤーとしての森保一は日本サッカーの大きな飛躍のキッカケを作ってくれた1人ではないだろうか。
サンフレッチェの監督に就任したのはペドロヴィッチのサッカーを尊敬
『考えて走るサッカー』
これはオシムがやっていたサッカーである。
オシムのサッカーを引き継いで来たのがペドロヴィッチだ。

ペドロヴィッチは下位に低迷していたサンフレッチェ広島を率いて、フジゼロックススーパーカップ優勝、天皇杯準優勝、ナビスコカップ準優勝、アジアチャンピオンズリーグにサンフレッチェ広島を出場させるなど強豪チームへと導くきっかけを作った監督である。
そのペドロヴィッチのサッカーは日本人に合うと感銘を受けていたのが、当時サンフレッチェの監督だったペドロヴィッチの下でコーチをやっていた森保である。
サンフレッチェ広島の森保監督時代が黄金期
ペドロヴィッチの後任で2012年からは古巣のサンフレッチェ広島に復帰し、クラブ生え抜き史上初となるトップチーム監督を務めることとなった。
同シーズン、日本人元Jリーガーの監督としては初であり、日本人新人1年目監督としては松木安太郎以来2人目となるJ1年間優勝をする。
当時のメンバーには佐藤寿人、森崎兄弟、青山敏弘、西川周作等の日本代表経験者も勿論活躍していた。
翌2013には松木(V川崎)・岡田武史(横浜FM)およびオズワルド・オリヴェイラ(鹿島)以来4人目となるJ1連覇を達成 し、3連覇を狙った翌2014年こそ8位に終わるものの、11年ぶりに導入され2ステージ制が復活した2015年は再び年間優勝。
森保監督体制の4年間で3度のリーグ優勝を果たした。
誰もが認めるJリーグを代表する日本人監督の名匠だ。
西野監督の後任は森保監督しかいないだろう。

森保一現U-23オンリンピック代表監督は日本代表(A代表)の監督になると、兼任という形になってしまうが2年後の東京オリンピックまでの予選は日本は免除される。
なので、カタールW杯までのA代表の監督と兼任するのは不可能な事ではない。
過去に日韓W杯のトルシエジャパン時代もトルシエは兼任して監督をやっていたからだ。
そして、森保監督はロシアW杯にもヘッドコーチとして帯同していたので西野監督の後任としても申し分ないだろう。
森保監督は過去の監督のやり方の良いとこ取りをする素晴らしい監督だからだ。
本人談ではあるが…

ボールの動かし方はバクスター監督から学んだものが大きい。
個の局面なんかはオフト監督(ドーハの悲劇時代)から学んだ事が大きいと言っている。

外国人監督だけではなく、選手とのコミュニケーションの取り方は清水秀彦さんの影響を受けているようです。(京都パープルサンガとベガルタ仙台で一緒に仕事をした)
そして、ロシアW杯の西野監督の下でも何かを得たんではないだろうか!
それを、2年後の東京オリンピック、4年後のカタールW杯で私は森保監督の集大成を見たいと感じてしまった。
日本サッカーの大きな歴史であるアメリカW杯最終予選のドーハの悲劇をプレイヤーとして経験した人であり、ロシアW杯ではベスト8に1番近付いた瞬間をヘッドコーチとして経験した人である。
日本サッカーの未来は森保監督に任されて当然なのかもしれない。
コメントを残す